カテゴリー別アーカイブ: 翻訳家になるまでのこと

どうして英語を勉強してきたのか?翻訳家にたどりつくまでのエピソードなど。

記事があまりに理解できなくて泣いた

【Japan Times】
英語学習に役立つ 英字新聞のひとつ
就職したての頃、
もっと英語を勉強しなければ!と
最初に手にした英字新聞でした。
かっこつけて電車の中で広げるも
(今でこそ電子版ですが、当時は紙版)
まず何が書いてあるのか
文章として頭に入ってこない ><
英語の成績、よかったはずなのに・・・
その一番の理由は、
私の『語彙力のなさ』でした。
残念ながら
語彙力に関しては、
学習するあなたのコツコツ努力なくしては
なかなか発展しません。
よく「○○語で英語は話せるようになる!」とかって
英会話レッスンのセールストークにありますが、
間違っているかどうかは別として、
そこで「境界線」を作ってしまったら
伸びるものも伸びなくなりますよ。
語彙力は、高いにこしたことありません。
それに、毎日、新しい言葉が生まれています。
終わりなんてないんです。
さて、話を戻します。
最初はわからない単語を飛ばしてもよいので、
全体イメージをつかむつもりで
英文を目でおってみるだけで大丈夫!
同じような内容の日本語の記事も併せて読むと、
イメージしやすくなります。

よく遊び、よく働きました!(あれ?逆w)

2つ目の外資系証券会社で働き始めて

本当の仕事の面白さを

教えていただいたように思います。

 

朝、陽が昇る前から出勤したり、

夕方4時くらいから出勤して

会社に泊まり込んで月間レポート書いたり・・・

(英国市場が日本の夕方5時にスタートするので

夕方から出勤して、ロンドンのスタッフと

市場動向を確認したり、データもらったり)

午後8時くらいには、

夕飯と称して、なぜか『コロナビール』も登場w

机の上には、Quick マシン!

 

そして、夜は六本木・麻布へ繰り出して

夜通し遊んで、そのまま出勤w

 

みんなが遊びに出るもんだから

帰宅の頃には、タクシーの争奪戦が

あちらこちらで繰り広げられてました。

 

 

よく遊び、よく働いて

(あれ?! 仕事が先じゃないのかw)

一番刺激的な時期だったように思います。

(当時23歳くらい)

 

それなりに、キャリアウーマンっぽいw

 

 

 

 

外資系証券会社に就職決まる!

最初の夢がかなった!

外資系証券会社に就職決まる!

当時19歳です。

 

私、若い! 細いw

 

もう一度戻りたいですね。

それができるなら、

もっともっといろんなこと

チャレンジしてただろうな・・・・

 

ちなみに、どんなお仕事に就いたかというと、

社長秘書の秘書、つまり「準秘書」

英語ではJunior Secretaryと言います。

 

受付の席に座って

月曜日の朝には、お花を生けたり、

毎日郵便物を取りに行って担当者に配布したり、

社長にコーヒー淹れたり・・・

 

 

そういえば・・・

人生最大ともいえる大失敗をしたのも

この職場でした ><

 

どんなことをやらかしたかは

また今度ね ^^

子どもの頃から大好き!セサミストリート

子供の頃から、大好き💛

 

セサミストリートの愉快な仲間たちです。

なかでもエルモは大人気ですね。

私はクッキーモンスターもお気に入り。

 

難点は、「何を言っているかわからない」ことw

 

これは、海外の書店でゲットしてきた

 

 

セサミストリート関連のアクティビティブックです。

塗り絵があったり、絵辞書があったり

子どもたちが英語を学習するのに飽きない工夫が

いっぱいです!

 

特におススメは、

「セサミストリート英語大辞典」

 

辞書なんだけど、

絵が楽しいし、

短い文章で例文がたくさんあるので

丸暗記するのにいいです。

 

とかく「丸暗記」はつまらないもの。

これなら楽しくできそうですよ。

 

お子さんにも是非どうぞ!

 

 

国際英文秘書課へ進学

高校の次は、大学。

 

大学進学も、使える英語を勉強できるところに絞りました・・・・

 

って、思うのですが、実は、これもなんとなくなんですが、

そういった大学を見つけるのは難しいだろう、

もしかするとないかもしれないという思いの方が強く、

ビジネス英語や通訳、翻訳を教えてくれる英語の専門学校を探しました。

 

大学受験と同時並行だったのですが、専門学校へは、体験入学をさせてもらい、

授業に参加して自分に合っているかどうか、自分が学びたい科目があるかどうか、

雰囲気はどうか、などを検討しました。

 

そして決めたのが、全日制の国際秘書養成専門学校でした。

秘書の勉強をしていればビジネスに非常に役に立つし、

何よりも全国で英文速記を教えてくれるところは2校しかなく、

そのうちの一つだったんです。

グレッグ式英文速記を習得すると、国連大学で速記者になるなどの道が開けます。

他人と同じは大嫌いな自分は、

「どうせ英語をやるなら、他の人とは違うスキルを身に着けたい」と思ったので、

この学校にしました。

 

でも、担任の先生はだまっていません。

 

なんだかわけのわからない専門学校に進学すると報告したら、

それはそれは心配して、何度も職員室に呼ばれ、

「気は変わらないのか?」、「本当に大丈夫か」、

「大学に行ってからでも遅くないぞ」と、声をかけてくださいました。

当時、英文科の短大は合格していたので、先生はそちらに行かせたかったようです。

 

でも私の決心が揺らぐはずもありません。

 

当時は短大生と言えば、テレビでももてはやされていた時代でしたから、

なんだかちゃらちゃらしたイメージがあって、私には合いませんでしたから。

合わないというか、ひたすら居心地が悪くて(笑)。

受験の時に、キャンパスにも行きましたが、やっぱりだめでした。

あのお嬢様・・・・というような雰囲気。本音でごめんなさい。

今だから言えるお話ということで、どうかお許しください。

やった!LL教室がある!

英語教育の環境が整ている高校を探し、進学したわけですが、

その高校は公立高校で、LL教室がありました。

 

高校では、剣道部に入部し、「文武両道」・・・といきたいところでしたが、

理数がからっきしだめで、特に数学や物理は、赤点すれすれ。

それも先生がなんとか考慮してくださって「31点」とか・・・

テストの後は、いつも教員室にいって補習授業を受けていました。

でも、どういうわけか、英語だけは、いつも満点か満点に近くて、

大学受験時の全国アチーブテストでも満点を取り、

(もちろん、英語だけですw)

当時は学校始まって以来の満点だったようで、

いろいろな先生に褒めていただき、正直に言ってとてもうれしかったです。

 

一つ残念だったことは・・・

 

せっかくのLL教室を使えたのは、高校3年間でたった2回でした。

NHKの基礎英語へステップアップ!

小学校の頃に、シンガポールからの帰国子女だったお友達と、

お互いにライバル視していたお話はしましたね。

そんなこんだで、彼女からすごく刺激を受けて、

小学校では英語の授業はなかったのですが、

自分でNHKの「基礎英語」のテキストを買ってきて

音だけ一生懸命真似ていました。

 

なので、中学に入って英語の授業が始まったのがとても嬉しくて

英語のテストは、毎回ほぼ100点かそれに近い点数でしたが、

高校受験の声が聞こえた頃には、

既に将来は英語を使ったお仕事をしたいという思いがふつふつとわいてきていて、

漠然とですがどんな道に将来は進みたいかということが頭にありました。

 

ですから、進学する高校も、

「LL教室があるところ」あるいは「ネイティブによる英語の授業があるところ」

に限定してましたね。学校のレベルとか(失礼!)まったく関係なくて、

ひたすら使える英語により近いカリキュラムがあるところを探していました。

セサミストリートから、その後・・・ライバル出演w

同じ頃、親戚のお姉さんが子供向けの英語の先生だったので、

英語の歌を教えてもらいました。なんか・・・手の指の歌だったと思います。

 

とにかく、私は、英語の「音」と「リズム」にとても強い関心がありました。

なんていうか、心地がいいというか・・・

 

その後、小学校に入学して、ごく普通の小学生ライフを送っていたのですが、

確か5年生だった時に、事件が起こります。

 

なんと、転校生がやってきたのです。

 

彼女は、シンガポールで生まれて育った、いわゆる帰国子女。

今でこそ帰国子女ってそれほど特別な印象はないですが、

当時は、「へ~~あいつ、すげ~」って感じでした。

ご本人も、何かあると、英語、英語って、自慢げに言うんですよ。

しかも、頭脳明晰で成績も抜群なんです。

 

私としては、ちょっぴりというか、かなり悔しかったですね。

だからって、まだこの時でもそんな本格的に英語を勉強しようとは

思っていませんでした。彼女とは、お互いになんとなく牽制しあいながら、

特に接点もなく(クラスが同じになったことがなかったので)小学校を卒業し、

同じ中学校に通いました。やはり、3年間、同じクラスになることはなく、

近い存在というわけではないんですが、成績も優秀だったし、

なによりも英語ができたので、かなりライバル意識もってましたね、多分、お互いに(笑)。

 

結局、それぞれ高校受験をして、学校が別々になってしまったのですが、

高校に行ってから、ある日、ばったりと電車のなかで会ったんです。

そしたら、なんていうか、もう昔のぎすぎす感がなくなっていて、

お互いに自然と話かけてました。

少しは大人になったんだと思います、これまたお互いに(笑)。

 

聞いてみると、彼女は彼女なりに、なんというか、

帰国子女だからということや、勉強も簡単すぎてつまらないみたいな・・・

それはそれですごい悩みだなと思うのですが、

彼女なりに疎外感を感じて生きてきたところもあったようです。

外からみるだけじゃわからない複雑な心境って、あるんでしょうね。

 

今から40年以上も前のことです。

当時は、帰国子女であることの方がやりにくかったのかもしれせんね。

きっかけは、セサミストリート💛

まだ幼稚園頃だったかな・・・・

親戚に、お兄ちゃんとお姉ちゃんがいまして(男女の双子)

そのお姉ちゃんが子供に英語を教えていただんです。

で、年末年始に親戚の集まりがあり、その場で英語の歌を教えてくれました。

それがとても面白くて、私は、帰宅してからもずっと口ずさんでいたんです。

それからというもの、なんとなく英語、特に英語の音が気になるようになり、

テレビの教育チャンネルで英語の番組を見始めました。

それがセ「サミストリート」だったんです。

 

当時は、日本語の解説がついていて

とにかく人形たちがかわいいやら、おっかないやら(笑)

(はっきりって、怖いモペットもいました)

 

幼稚園生だから、ともすると日本語でさえも怪しいのに

とっぷりとその番組にはまり、片っ端から英語をリピートしてましたね。

(もちろん、間違ったまま覚えてました)

 

大人になってからようやく「ああ、あれはリエゾンだったのね」と

気づいたりして。

(リエゾン:前後の単語がくっついて発音されること。例えば、an apple=アナップルと発音)

 

 

今でも、カーミットさん、アニー、バート、エルモ(物まねできますw)、クッキーモンスター(これも物まねできます)、ビッグバード・・・・みんなかわいい💛

 

私が英語に興味をもちはじめたきっかけは、

「セサミストリート」のかわいい住人たちのおしゃべりだったんです。

 

皆さんが英語を話そうと思ったきっかけはなんですか?^^