翻訳者は、もうオワコンか?

このところAIが発達し、翻訳者や通訳者はもういらなくなると言われるようになりました。これから英語を身に着けようと頑張っている方にとっては、出鼻をくじかれてしまいますよね。それに、40年近く英語に携わり、頑張ってきた私の努力は、もしかして目先短期間で報われなくなってしまうのだろうかと思うと、心がもやもやします。AIが凄いことになっているから、もう翻訳者として仕事できないねと言われることもあり、その度に凹みます。笑顔で受け答えしていますが、本当はかなり凹んでいるんです。SNS等でも、現役の翻訳者さんや通訳者さんの不安の声はよく見かけます。彼ら、彼女たちも、私と同じように頑張ってきたことが一瞬のうちにAIにとって代わられることへの虚しさを感じているのかもしれません。

結論、というか持論から言います。翻訳や通訳の分野に限らず、一般的にみれば、確かにAIの登場で仕事の効率化は大幅に進みました。それでも「人であることの価値」を踏まえて立ち居振り舞いできる優れた翻訳者や通訳者に対するニーズは、消えないと思っています。むしろこれからは、語学力だけではなく、関わってくださる方々のニーズや環境の変化、心情などをくみ取って翻訳や通訳ができる人材が求められるようになるとさえ思います。そして、映画やドキュメンタリーのように、人の感情に触れる要素がたっぷりと含まれているものは、100人訳せば100通りの作品になると思います。ましてや、「間」を訳す時、訳さない時の見極めの醍醐味も、翻訳者の力量次第です。AIでは全くできないとまでは思いませんが、画像や音、登場人物の表情や背景描写を踏まえて作品として仕上げていけるのは、他でもない「人」だと思うのです。

通訳であればAI通訳機、翻訳であればDeeplやChat GPT、Yarakuzenなどが翻訳者・通訳者に関係する代表的なAIですね。その他にもあると思いますが、ここではこれくらいに留めておきますね。

私も気になったので、優秀かつリーゾナブルな価格で販売されているAI翻訳(通訳)機を使ってみました。

予想以上に凄かったです!速いし、それなりに適格な訳になっているので、これなら、人によっては『AI翻訳機で充分かも!』という発想になるのも仕方ないと思ってしまいました。『最低限の英語が喋れればよい』程度のニーズは実際に多いと思いますし、AI翻訳機に依存するのもありです。もしかしたら、それほど遠くない未来には、人間の体のなかにAI翻訳機が組み込まれて『英語を勉強しなくてもよい日が到来する』かもしれません(個人的には「どうなんだろう・・・?」と思いますが)。

自分の代わりに通訳者や、英語ができるアシスタントを雇っても構いません。すべて丸投げしてやってもらえば、楽ちんです。また翻訳してくれるAIに至っては、ファイル単位で短時間(ほんの数分)でターゲット言語に訳してくれますし、用語集も作ってくれます。訳文を読み上げてくれたりもします。すごい時代になったなと、感動さえ覚えますね。

また社内で翻訳ニーズがある場合、業界の専門知識を持っている社員が訳文を読めば、多少の誤訳があっても、資料として成立します。メモリーを蓄積していけば、用語統一の精度も上がっていきますから、別途お金をかけて翻訳者に翻訳を依頼する必要もないでしょう。企業としては、かなりのコストカット、スピードアップにつながりますね。それでも、私がお世話になっている企業様は、会社のブランドとして公開するものは、しっかりと資金を投じて業界の実務経験を持つ翻訳者に外注し、さらに社内で校正をかけます。要するに、AIを使った翻訳と、翻訳者による翻訳とを使い分けているんです。ここ、「鍵」だと思います。

さて・・・・こうしたAIを使うメリットの裏には、デメリットもあります。

一般的に言えば、AIに頼り過ぎれることで、人の脳は劣化します。自ら思考をしなくなるからです。このような状態で年齢を重ねれば重ねるほど、他にもいろいろな影響が出てきます。大げさかもしれませんが、「人間であることの意味」すらも、だんだん失われていくのではと思ってしまいます。

また英語ができる人を雇用する、あるいは外注すれば、前述のとおり人件費や外注費がかさみます。その人が辞めてしまえば、ニーズに対応できる人をあらためて探さなければなりません。本当は自分で英語を身に着けたいと思っているのであれば、このようにAIに頼ってしまうと、自分の資産として残るものが限られてしまいます。

そして、AIや第三者に依存する翻訳・通訳における最大のデメリットがあります。

AIや第三者に依存すると、「原文の意味を正しく解釈し、翻訳・通訳できているか?」、「自分が本当に伝えたいことがきちんと伝わっているのか?」確認することができないのです!特に、先に触れましたが、映画のセリフだけでなく、喧嘩になってしまった時、愛情を表現したい時、悩みや不安を伝えた時など、日常会話のなかで細かい心のひだのようなものを表現するのは、日本語(母国語)であっても難しいし、そもそもの原文の意味(伝えたいこと)を一文字たりともたがわずきちんと解釈しているかどうかわからないのは、恐怖でしかありません。思わぬところで誤解が発生してもおかしくないのです。ましては、ビジネスの世界では、そんな誤解はあってはならないでしょう。

この例では、プロジェクトの複数の当事者間で進捗状況について誤解が生じています。それぞれの解釈でそれぞれに役割でプロジェクトが進行してしまうと、どこかで間違いなく食い違いが発生し、それを修正するためには、多大な時間、労力、資金が追加で必要になります。これは、企業内で実際に私が見てきたことです。

人を知らず知らず傷つけてしまうようなこともあり得ます。翻訳の仕事でAIを活用して効率化を図るぶんにはまったく問題ありませんが、それでも、出来上がってきた訳文の精度を確認するべきは「人」なのです。訳文がきちんと目的にあったものか、ターゲットの読者に適切な表現になっているか、事実に反する内容は含まれていないか、など、確認しなければならないことはたくさんあります。

このようなデメリットを踏まえ、翻訳者・通訳者として生き残っていくためには、自らしっかりとした英語力を持つこと、継続的に学習すること、何かしらの付加価値をつけていくことが必要だと思います。AIに仕事がとられると不安になるよりも、自分の英語力をさらに磨き、人としての立ち居振る舞いや知識や専門知識の積み上げに向かって行動を起こすべきだと思うのです。

とある企業様に面接に行ったときことをお話します。面接を経てめでたく翻訳者、チェッカーとして採用されたのですが、後に担当者様によると面談の際に私を含め4名の候補者がいたそうです。なぜ私が最終選考に残ったかというと、「人とコミュニケーションができる、英語以外にDTPができる、マーケティングの基礎知識がある」という英語以外の加点があったからだそうです(自慢するつもりはまったくありませんので、誤解しないでくださいね)。英語以外に付加価値を付けていけるかどうかで、自分の価値(仕事獲得率ともいうべきか)に違いが生まれるという実例です。

昨今、インターネットの普及と通信技術の発展で、世界中の人たちがボーダレスに交流するようになりました。オンラインでの会議も定着してきているので、時差さえも超えて様々な国の人たちが英語で商談するというのももう珍しいことではありません。AIがさらに優秀になればなるほど、翻訳者や通訳者の仕事の実態や裏側の努力を知ろうともせず、翻訳者や通訳者はもういらないとみなし、AIを使って処理すればいいと思う人がもっと増えてくるでしょう。便利さと効率化の裏側にある、その先のカオスを想像することもなしにです。少なからず、成果物の品質にばらつきが出てしまうことは避けられないと思います。

私は、今まで以上に『本当に英語を使いこなせる人』が圧倒的有利な立場になっていくと思っています。ここで私が言うところの「本当に英語を使いこなせる人」とは、語彙力が豊かで、どんなシチュエーションでも流ちょうに英語を話す人のことではありません。日本人であることの良さを大切にしながら、今まで生きてきたなかで得た経験や知識、培ってきたスキル、自身のパーソナリティ、つまり「自分らしさ」を英語で世界に届けられる人のことです。日本語と英語の二つの言語を使って多くの方々の橋渡しができることはとても大切なことであり、これから英語を身に着けようと頑張っておられるあなたも、そして私も、心のなかにしっかりと刻み込んでおくべきだと強く思いました。

技術の進歩は素晴らしいです。これからAIを使わないという選択肢はおそらくないでしょう。でも、血の通った、人間としての言葉による交流がなくなる、究極のところ、それを人間自身が捨て去ってしまうことはあってはならないと強く思いつつ、自分磨きを続けながら、どんな未来になっていくのかを見ていこうと思います。そして頑張ってきた人たちの努力が報われることを願っています。

 

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